HISTORY 沿革
1900 -
「菅谷商店」として創業
創業者菅谷元治が大阪市北区壷屋町に、工業生産に必要な各種機械、電気器具、鉄材、石炭等の販売を目的とした「菅谷商店」を創業。
暖房工事業に進出
菅谷商店と同じ大阪市北区壷屋町に、「村井菅谷営業事務所」を開き、暖房工事業に進出。
商号を「大阪電気商会」に改める
日露戦争を契機とする日本の重工業化に伴い、電気の利用が進んだ事から、電灯の取付を行う電気工事を専業とし、商号を「大阪電気商会」と改める。
施工実績
名古屋、東京に出張所を開設
大正10年12月に支店に昇格。
新たに「大阪暖房商会」を発足
「村井菅谷営業事務所」の営業権を譲り受け、新たに「大阪暖房商会」を発足。
「合資会社大阪電気商会大阪暖房商会」を設立
第1次世界大戦の大戦景気で業容が拡大し、「大阪電気商会」と「大阪暖房商会」を統合し、「合資会社大阪電気商会大阪暖房商会」を設立。
1930 -
ソ連国境に近い羅津に出張所を開設。
羅津は関東軍の船団基地があり、南満州鉄道の開発整備の電気工事を請け負う事が目的であった。
この後、満州国の誕生に伴い、満鉄と関東軍の指定工事業者として、満州各地に出張所を開設した。
施工実績
「株式会社大阪電気商会大阪暖房商会」を設立
10月10日、「株式会社大阪電気商会大阪暖房商会」を設立。
創業者 菅谷元治が社長就任。
この頃、軍需産業の伸びと共に、オフィス需要の高まりにより鉄筋コンクリート構造の建物の建設が増加した。
施工実績
太平洋戦争の戦時下では「暖房」が贅沢品になった事と「商会」が商社のイメージを与え資材や労務の調達で不都合となった為、「大阪電気鉄管工業株式会社」に商号を変更。
敗戦に伴い元の商号「株式会社大阪電気商会大阪暖房商会」に戻す。
占領軍の設営工事の増加に伴い、各地に相次いで出張所を開設。
建設業法施行により建設業者登録。
この後、朝鮮戦争特需から高度成長路線に突き進む中で設備投資の拡大が続き、昭和30年代に建築ブームが到来した。
1960 -
社是の制定・健康保険組合の設立
3月に社是を制定。
「真剣努力、思考創造、協力和合、信義礼節、誠実感謝」
また、4月には健康保険組合を設立。この時期の設立は全産業でも早く、建設業界では先駆けとなる。
施工実績
「大阪電気暖房株式会社」に商号変更
翌1966年には、社員数が1,000名を超える。
施工実績
大阪支店の現業部門が独立して「大電設備工事株式会社」を設立。この後、1976年4月にかけて9社が独立し、関係会社を設立した。また、同年11月15日には労働組合を結成した。
施工実績
大阪証券取引所市場第2部に上場
4月に初めての中期経営計画を策定。
1975年4月~1978年3月を対象とする「3カ年利益計画」を
策定。初めての中期経営計画がスタートした。
また、10月には大阪証券取引所市場第2部に上場。
監査法人朝日会計社(現・あずさ監査法人)の外部監査を受けることにした他、9月決算を3月決算に変更。
「光と空気と水を生かす」のキャッチフレーズが誕生
社内公募により決定。
生命活動に不可欠な光、空気、水を扱う高い社会性を持った企業であること、そして、電気、空調、水道衛生の各部門をバランスよく展開する優良企業であることを表現した。
完成工事高500億円を突破
シンガポール支店が誕生
すでに、1977年に海外事業部を設立、同年8月にシンガポールに駐在員事務所を設置していたが、これを機に支店に昇格した。
9月、大阪証券取引所市場第1部に指定替え。
現在地(大阪市西区江戸堀)に本店ビルを建設。
技術研究所を設立
埼玉県入間郡三芳町に「技術研究所」を設立。
研究管理棟と実験棟を建設。実験棟にはクリーンルームの環境実験室や配管の腐食実験室を設置した他、多目的実験室で事業所からの依頼実験を行えるようにした。
「ダイダン株式会社」に商号を変更
業界内では古くから親しまれていた「ダイダン」の略称を追認する形で商号を変更。英語標記は「DAI-DAN CO.,LTD.」。
また、同年11月には中央区銀座2丁目から千代田区富士見2丁目に東京本社移転。分散していた東京本社の機能を一つに統合。
建設需要拡大に伴い膨れ上がる資金需要に応えるため、第1回物上担保附転換社債50億円を発行。
当初10月に発行予定であったが、10月19日のニューヨーク市場の大暴落(ブラックマンデー)を受けて発行を延期した。
完成工事高1,000億円を突破
1990 -
完成工事高2,000億円を突破
1988年から日本経済は拡大期に入り、バブル景気により空前の建設ブームが到来。
平成6年3月期には完成工事高2,270億円を達成した。
施工実績
八尾研修所を竣工
昭和57年4月から千里研修所で新入社員研修を始めとする社員研修を行っていたが、社員数の増加と研修内容の高度化に対応する機能を備えた研修所が必要となり新たに八尾研修所を建設した。
施工実績
シンガポール支店でISO9000Sの認証取得。
国内全事業所でISO9000Sの認証取得
1997年6月に規格管理部を設置し活動を開始。
1999年12月迄に全国の事業所でISO9000シリーズの認証を取得した。
この後、2006年12月には全社一括でのISO9001認証登録に更新。
2000 -
国内全事業所でISO14001の一括認証取得
2000年4月にISO推進部を設置し、ISO14001認証取得のプロジェクトチームを結成、全社一括認証に向けて活動を開始。
2002年2月1日付で全社一括でISO14001の認証を取得した。
2008年8月にISO9001(品質)とISO14001(環境)を統合。
創業100周年を迎える
3月4日に創業100周年を迎える。
また、同年4月には全社情報システムを導入した。
すでに2001年12月に「情報化推進室」を設置していたが、
このシステムを導入したことで、それまで分散していたシステムを全統合。工事の引き合いから、設計・積算、受注、施工管理、竣工に至る一貫した情報連携と即時反映を実現した画期的なシステムを構築。情報発信元での直接入力と電子承認システムの導入、資金の本店集中・一元管理により業務効率化が一気に進む。
超臨界CO₂によるエアフィルタ再生装置が完成
技術研究所に超臨界CO₂によるエアフィルタ再生装置が完成。従来廃棄されていた使用済のエアフィルタを超臨界CO₂で洗浄再生する技術を世界で初めて事業化。
平成24年度化学工学会賞技術賞を受賞した。
技術研究所内に新研究棟を建設
スマートエネルギーへの取り組みを強化するため、技術研究所に省・創・蓄エネルギー技術や最先端技術の研究・検証を行う新研究棟を建設。2015年には既存研究棟のスマート化改修を実施。
4月1日、北野晶平 社長就任。
6月の東証によるコーポレートガバナンスコード導入を踏まえ、6月26日の株主総会で社外取締役2名が就任。
スマートエネルギーラボ(エネフィス九州®)建設
九州支社・スマートエネルギーラボ(エネフィス九州®)建設。BCPの観点からの九州支社建替えに合わせ、自社ビルでのZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)化を実証する施設として建設。事務所機能を有する初めての実証施設となった。
再生医療研究の拠点として「セラボ殿町」を開設
再生医療分野の産業化推進への貢献を目指したオープンイノベーションを進めるため、「ライフイノベーションセンター」(神奈川県川崎市)内に、最新のCPF(細胞培養加工施設)を備えた「セラボ殿町」を開設。
4月1日、藤澤一郎 社長就任。(北野晶平は会長就任)
エネフィス四国®竣工
セラボヘルスケアサービス株式会社設立
2月、再生医療に関わる環境とサービスの新しい価値を創造し提供する子会社としてセラボヘルスケアサービスを設立。
DX銘柄2020に選定
8月、経済産業省と東京証券取引所が共同で選定した「デジタルトランスフォーメーション銘柄(DX銘柄)」35社の1社として発表される。
- ※DX銘柄とは
- 東京証券取引所に上場している企業の中から、企業価値の向上につながるデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するための仕組みを社内に構築し、優れたデジタル活用の実績が表れている企業を選定して紹介するもの。
ベトナム・ハノイに子会社設立
11月、海外事業拡大の取り組みの一環として、ベトナム・ハノイ市に100%子会社の現地法人「DAI-DAN (VIETNAM) Company Limited」を設立。
エネフィス北海道®(北海道支店)建設
5月 エネフィス北海道®(北海道支店)を建設。寒冷地での完全『ZEB』を達成する
シンガポールに現地法人設立
9月 東南アジアの将来の拠点とすべく、シンガポールに現地法人「DAI-DAN INTERNATIONAL ASIA PTE.LTD.」を設立
台湾に子会社設立
11月 台湾に子会社を設立
北陸支店を建替え
5月 北陸支店を建替え、木材(CLT)を活用し、「伝統」と「革新」の融合した次世代オフィスを実現する
創業120周年を迎え、コーポレートロゴを刷新する
新潟支店を建替え
3月 『3つの脱とレジリエンスを「DX」で実現し、新しい働き方を推進するオフィス』を コンセプトとして、新潟支店を建替え
4月 山中康宏社長就任
(北野晶平は相談役就任、藤澤一郎は会長就任)